ともをの日記

頑張ります‼

先生は私を多分知らない。

どうも皆様。今日は最初のこの入りの段落(?)より後は、いつもと違う文の書き方をしてみようかなと思います。ともをです。いつもはこのような感じでいわゆる”ですます口調”で書いているので、ここから先は○○だと思う。みたいに書いてみようかなと思います。違和感凄いことになりそう。

さて、そんなわけで今日は「先生は私を多分知らない」ということについて書いていこうと思う。

まず初めに、今日は放課後に先生との面談の時間があった。前の人の時間が10分近く延びていて結局私の面談の開始時間は予定より10分強程遅くなってしまった。何故こんなに延びるのか考えても分からなかったが話してみてわかった。先生のマシンガントークがそれはもう凄まじかった。次から次へと話していくので終わりどころが見当たらず、沼にハマった結果長くなってしまうのだ。

今日の面談では、主に「今のクラスはどれくらい楽しいか、また今のクラスに足りないものは何か」や「今後の進路について」を中心に話した。

今日は前者の話題について少し書いていこうと思う。進路に関する話はあまりしたくないからだ。

前者の話題の中で「今のクラスは授業が静かすぎる」という問題点が挙げられた。授業を持った全先生が口をそろえて言うのが「二年〇組は静かすぎて授業しづらい」ということだ。

初めてこのクラスで授業を受けたときから薄々感じてはいたが、成績の良い、いわゆる優等生の答えを待ち「自ら授業に参加しよう」という姿勢の人が私のクラスは極端に少ない。頭の良い人(成績の良い人)とそうでない人の差が激しすぎるあまり、そうでない側の人には「頭がよくなりたい!!」という考えはもうないと言っていいだろう。努力する前から諦めているのだ。自分には無理だと勝手に思い込み勝手に諦めている。

何故ここまで言い切ってしまうのかというと、私も元はそういう人だったからだ。私には無理だなと勝手に思い込み誰にも言うことなく勝手に諦めてきた。そういう人が、私のクラスにはきっと多いのだと思う。

”諦める”ということは一瞬で、かつ簡単だ。誰にも言わずに、自分自身も知らないうちに諦めているということが思っているよりも多いと感じる。それに本人が気づいているのか、はたまた声に出すことで”私はもうあきらめていますよ感”を出そうとしているのか。それは人によって異なるが、とにかく私のクラスにはそういう人が多いのだと思う。

こんなクラスのもう一つの問題点として、先生は「行事ごとで盛り上がれるか」を挙げた。このクラスに変わってからまだ大きな”体育祭”や”合唱コンクール”などの行事はしていないが、このクラスでこれから盛り上がれるのかと聞かれれば微妙だ。

そこで、有難くなのか先生がキーとなる人物として私のことを挙げてくださった。

先生が言うに「〇〇さんはそういう人たちと優等生の間にいるから、内側から声がけして盛り上げてほしい。そういう盛り上げのできる人物は○○さんくらいだ。頼む。」とのこと。必死だな。と思ったと同時に「先生は私の能力を見誤っているな」と強く感じた。

どの先生も私が”リーダー”になることを強く期待しているようだが、はっきり言って私は”一時的なリーダーという役割”(その場だけの司会進行など)が好きなだけであって、”長期的なリーダー”(委員長、部長など)の役割は好きではないし、言ってしまえば嫌いな方だ。

私に”リーダー”の素質があるかどうかと私が”リーダー”という役割を楽しめる人間なのかは全くの別問題である。私は後者であると自覚しているし、リーダーは正直やりたくもない。こんな特性の人間に対して「盛り上げる」ことを求めるというのは結構酷なことだ。ただこういった”お願い”の類は断り方が難しいため結局渋々「頑張ります。」とだけ答えるのがオチだ。

こういう人間なのだと先生にはよく知ってほしいものだが、この素の状態のまま先生と話してしまったときには成績が落ちるどころの騒ぎではないことが目に見えている為、私は日々それなりの素っぽい態度でのらりくらりと学校生活を送っている。

こう見ると私は今回のブログでかなり厨二病っぽいことを書いてしまった気がする。ただ気取った口調で”私は学校では猫をかぶっています”という旨を書いただけなのに。

この文の書き方は楽だがやはりまだ慣れないなと思う。たまにこんな風に書いていくのもありかななんて思いつつ、時間がギリギリな為ここで終わろうと思う。そんじゃ、また!!