どたの日記

頑張ります!!

「カルネデアスの舟板」についての持論

どうも皆様!こちらが8日分!段々更新が追いついてきたのでこの調子で描ききるぞ!と思っています。どたです!早く追いつかねばならぬ。

さてはてそんな最近なんですけど授業中に先生が話していたことで少し面白い話がありまして。答えのない問いみたいな話なんですけど、皆さん「カルネアデスの舟板」ってご存じですか?自分は最近ご存じになりました。

簡単にどんな話かの概要を書くと「難破して大破した船から投げ出されたA、とっさにすがりつこうとした板に乗ろうとするも、同じく乗ろうとする一人Bがいた。二人で板に乗ってしまうと二人とも助からないこの状況下で、あなたがAならどうする?」

と、実際の話だったり議論の中心となる部分は違うかもしれませんが、先生が話していたそのときの内容や問いはそのようなものでした。

どのような行動をとるかと先生がクラスメイトに聞いたとき、「自分が助かりたいから自分が板に乗る」と皆答えましたし、実際先生の答えとしても「人間は自分が一番可愛いのだからその場で助かろうという行動をとるのは当たり前のことだと思う」というような具合でした。本当に相手を思っていたとしても相手に板を譲れる人間なんて稀だと。

自分ももちろんそう思いたいのですが、ひねくれているからなのか、はたまた自分自身の生死観故なのか。自分がAの立場に立った時、自分が犠牲になる選択を取ってしまう気がするんです。前提としてですが、自分が善人だとかそういう事を言いたいわけではないです。

そもそも人の命は全て平等に尊いものだという前提を思いつつ、どこかで自分の命はぞんざいに扱われても構わないと思っている自分がいます。自分が助かるより相手を助けた方が世のため人のためになると本気でそう思っています。

悲しい話ですけどね。自分みたいなのが生きていたって仕方ないじゃないかという諦めとかもその中にあるんだと思います。

世の中にのさばることが許されている現代だから自分は自分の幸せのために自分の人生を歩もうとちゃんと前を向けていますが、もし今現代が「生きていられることが当たり前ではない状況下」だったなら私はこんなに生命力に溢れてはいなかったでしょう。

生きられていることに感謝しなければいけない、いつ死ぬのか分からないような状況下なら自分は他人を優先して自分は最低限でいいときっと言い出します。食料も自分に必要なものも「人にあげるべきだ」とそんなことを言いながら差し出すでしょう。

生きることを諦めてもいいと思うハードルがきっと人よりも低くて、その低さは自己肯定感の低さと比例してくるんだと思います。自分が一番で、自分は生きたくて、そのために人を落とすことだって構わない。そんな風に自分は思って生きられる自信がないのです。

きっと自分が犠牲となって人を助ける行為が、自分にできる最大の善い事なのだと思います。命をぞんざいに扱うなと言われる昨今でこんな考えを赤裸々に語るのはいかがなものかとは思うんですけどね。

答えのない問いだからこそ、完全に主観だけで話すとこうなるという答えがあっても良いのではないかと思って今回少し触れて書いてみました。ただ書いて思ったことは別にこれ書いても誰も幸せにならないですね。

展開したくなった持論を書くだけの回があってもまあいいでしょう。個人のブログはどれだけ自分のために使おうが怒られないのでね。今日はこの辺で!そんじゃまた~!