ともをの日記

頑張ります‼

学校に対して思うこと

どうも皆様。最近学校説明会的なのがありまして、先生が「我が校の校則は今の時代に合っていないところもあるのでこれから変わっていくかもしれません」という話をしていて少し希望を感じました。ともをです。

いわゆる”ブラック校則”というやつですね。私の通う中学校も靴下の色の指定とか先生すらも「何でこの校則あるんだろう?」と疑問に思うような校則がありまして、多様性が大切にされていくこの時代にはあまりそぐわないのではないかなと思ったりしていたので先生側からそういったことを言ってくださるのは嬉しいなと思いました。

さて、今日は先ほど書いたことに関係ないわけでもないことを書いていこうかなと思います。

私がとある日TwitterのTLを眺めていたところ「学校に行きたくても行けないし、行けていない自分すらも嫌い。」というようなニュアンスのツイートを見つけたんですね。このツイートを見つけたとき私は疑問に思いました。

「学校に行けていない人が輪(のようなもの)から外されてしまうような世の中はおかしいんじゃないか?」と。

このツイートの主様が大学生なのか高校生なのか、はたまた小中学生なのかはこの際関係ありません。重要なのは”世の中の学校に対する見かたが少し変なのではないか”ということです。世の中にあるいわゆる一般常識の学校に対する見かたは、”学校に行っている人は善,学校に行っていない人は悪”のような対の関係になってしまっていると思います。善悪とまではいかなくとも良い悪いで見られてしまっている現状はずっと昔から根付いてしまっている日本の悪い文化なのではないかなと思っています。

勿論最初書いたように時代が変わって学校に対する世間の目も変わっては来ましたが、意識しているだけの状態で終わってしまっている人が多いような印象があります。

世間に対して一石を投じることができるのは限られた拡散力のある人達だけと勘違いしてしまっている人がいるようですが、はっきり言って私は違うと思っています。

幸いなことに日本では表現の自由が保障されています。私のような子供でも画面の前の貴方にだって一石は投じられるんです。有名な人が一言ドンっと言えば、そりゃあ拡散力はあるでしょう。でも塵も積もれば山となるという言葉があるように一人一人が小さくでも発信していくことが大切なのではないかなと思っています。甘い考えだったらすみません。

さて、少し話はそれましたが私は一人一人が見かたを変えたり偏見をなくしていくことによって、「楽しい人は学校に行けばいいし、行きたくないなら無理に行く必要はない。行きたくても行けない人は自分を責める必要なんてないし、行きたくなくても行っている人,勇気を出して行ってみた人は頑張ったねと褒められるべきだ。」

というような本当の意味で自由な世の中が作っていけるんじゃないかなと思っています。同じことようなことを言ってる人は沢山いると思います。でも私は改めて自分の言葉で書きたかったんです。これを読んで少しでもこういうことについて考えてくだされば嬉しいなと思ったりしている次第です。

全体的に堅苦しいブログになっちゃったので適当なことを言って中和しようと思います。雑談って一文字加えると雑技団になりますね。すげぇ!!真逆だぁ!!

こんな人間ですんません。そんじゃ、また。