ともをの日記

頑張ります‼

差別と区別の違い

どうも皆様。月曜日に漢字テスト(結構しっかり成績に入る奴)があるのにもかかわらずこの土曜日をキーホルダー作りに注いでしまいました。ともをです。まあ楽しかったのでヨシ!!!!(ということにしておきます)まだ完成はしていないので、多分明日には制作過程を載せると思います!クオリティーは期待しないでください(笑)

さて、そんなことは置いておいて今日は「差別と区別の違い」について話していこうと思います。少し難しい話題なので拙いところもあるかと思いますが、ご了承ください。拙いのはいつものことだろって?だまらっしゃい!!  …さ、書きましょ書きましょ。

さて皆さん唐突ですが「LGBTQ」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?Twitterでもニュースでも取り上げられているこの話題。きっと1度は聞いたこと、見たことがあるのではないでしょうか?かくいう私も良くも悪くも目立っているこの話題について聞いたことがありますし、何なら授業で調べたこともあります。

簡単に説明すると「LGBTQ」とは性的少数者の総称で、L=レズビアン(女性の同性愛者)、G=ゲイ(男性の同性愛者)、B=バイセクシャル(両性愛者)、T=トランスジェンダー(心と体の性が異なる人)、そしてQ =クィア、クエスチョニング(姓的指向、政治人が定まらない人)の頭文字をとった言葉です。

↑こういう大切な説明って誤字が許されない感じあるから打つとき怖いですね。

そして私はこのLGBTQについての差別は無くなってほしいと思っています。というより、差別のない世界が普通なんです。大多数と違うものを「悪」としてしまうのが世の中の悪いところなのではないかなと思っています。そして、この「差別」を無くそうとするあまり「差別」と「区別」の違いがつかなくなっている人が多くなっているように感じています。

例えば、銭湯についての話。今の銭湯では「女湯」と「男湯」に分かれています。そして、そんな中にLGBTQの中の主にTの「トランスジェンダー(心と体の性が異なる人)」は入りづらく思っているのではないかという話題がありました。

その話題の中で「性別を適合する手術を受けた人しかその人の本当の性の銭湯に入れないのはおかしい」みたいな意見があったんです。これを見て私は、心の性が男で体が女の人が男湯に入れないのは、心の性が女で体が男の人が女湯に入れないのはおかしいという意見だと受け取りました。そして、確かに手術が受けられない人も沢山いる中で好きに銭湯に入ったりできないのは確かにおかしいとは思いました。

ですが、この意見に対し「これをもし良しとしてしまったら、」という意見も多く見受けられました。確かにこれが許されるのなら「心は女なんです」と言っている人は誰でも女湯に入れることに、「心は男なんです」と言っている人は誰でも男湯に入れることになってしまいます。これではいわゆる大多数をしめる「そうでない人」にとって、とても怖いことになりかねません。

今の「男湯」「女湯」はその「そうでない人」を守るために、区別するために生まれた制度なので根本的にLGBTQの人向けのものではないんですよね。それをおかしいと言ってしまうのも分かりますが、難しいことにそれは「区別をするな」と言っていることと同じになってしまうと思うんです。この銭湯のことについて本格的に考えてい行くのなら、全く違う視点から全く違うものを考えなければならないと思います。

既存の「銭湯」というものに「LGBTQ」という要素を入れて物事を考えること自体が間違っていると私は思います。これは「LGBTQの人は銭湯に行くな」とかそういう事を言っているわけではありません。ただ、差別をなくすために区別を無くしてしまうのではなく差別を無くせるような新しいものを考えるべきだと言っているのです。

結構前にTwitterで話題になっていたことを今更話題に出したところで、とは私も思っていますが話題になっていた時に考えていたこと、感じていたことが今なら言語化できると思い、今回この話題について書きました。難しい話題ではありますし、言い方1つ変えてしまえば荒れてしまうような難しい話題ではありますが論点を改めて考えてみるのも大切なのではないかなと思います。書きたいことが書けたのでこの辺で。そんじゃ、また!!