ともをの日記

頑張ります‼

義務教育についてとか。

どうも皆様。最近国語の授業で作文を書いておりまして、パソコンで書いてるんですけど今日はそれをブログとさせていただこうと思います。ともをです。作品とかで発表するわけではないので多分大丈夫なはずです。多分。

追記:内容に過激な偏った表現が含まれていた為前半を大幅に削り、修正した文章になりました。今後修正が入る可能性もございます。

修正前のブログを読み私の未熟な考えより不快な思いをしてしまった方、大変申し訳ありませんでした。以後、このようなことが無いようより一層注意し、励んでいこうと思います。

以下、訂正後の文になります。↓

 私の思う子供の為になる場とはその子自身が持っている伸ばせる才能や興味のあることに存分に挑戦できるような場だ。ただ今の学校にはそれがない。中学校にかろうじて部活はあるが子供の無限の興味は「部活」の二文字には収まらない。

 子供にのびのびと育ってほしいと親はよく言うがそれは学校に通うという「当たり前」を前提にした言葉だ。当たり前に学校に行ってその子は幸せだろうか。その子自身のやりたいことは本当にできるか。習い事にないことをやってみたかったらどうすれば良いのか。そこまで考えた上でもう一度。のびのびと育っていく未来は学校や部活、習い事に本当に収まりきるだろうか。

 多様性が重視されていく中で学校は多様性とは真逆な存在に思える。同じ服装、同じような髪型、同じ生活のルーティーンの上で過ごす。それはその中で学びを深めるという点においては最適かもしれない。だが多様性という観点から見れば皆同じことが強制されていることは多様性とは言い難い。

 「学校とは必要なことを学ぶ場であり自由に遊ぶ場所ではない」という意見もあるだろう。だが、学校は個人の特性を伸ばしていく場でもある。個人の特性を伸ばしていくという観点において学校は不向きな決まりを作りすぎているように思う。同じルール下で大人数で過ごす。そういう場でしか経験できないようなことも勿論沢山あり、それは人生においてとても大切なことだろう。だが、人生はそれだけではない。挑戦し、もがき、苦しみ、挫折し、絶望を味わうこともあるだろう。それでも立ち上がり前に進む。そういうことも人生には必要だと私は思う。人生に必要なことを学ぶ場、学校は確かに必要だろう。だがそのせいで不登校の人への冷たい目が増えてしまったのも事実だ。

 多様性が重視される未来において才能を開花させることも自分の才能に気づくことさえ出来ずに生きていくのはその人の人生においてとても勿体ないと思う。

 義務教育がもし無くなれば学歴が重視されることもなくなる。学歴社会でないなら輝けた人も沢山いるはずだ。仕事をする人が減るかもしれないとか今はそういう事を言っているのではない。

 義務教育という制度に関しては疑問を持っているが私は学校は嫌いではない。貴方の人生において学校とはどういうものなのか。一度考えるきっかけになれば幸いだ。

 

さて、どうだったでしょうか?個人的な感想を言うとこの文を書いていて一番思ったことは「文章書くのって難し~!!!!」という事でした。

途中修正を加えつつ作文として授業で書いていこうかなと思います。結構踏み込んだ話題の方が印象に残りやすいかなとか思ったので今回この話題で書いてみました。過去最高に長いブログになってしまった為この辺で!!そんじゃ、また!!