ともをの日記

頑張ります‼

病んでいいから死なないでほしい

どうも皆様。最近はそろそろ本当にカラオケに行きたいと思っているともをです!カラオケ行ってまだ歌ったことない歌を歌いたい~!!!!とずっと思っています!だけど夏休み入ってすぐに友達とカラオケに行く予定があるのでそれまでは風呂場で練習しようと思います。音漏れ怖いけどね!!

さて、そんなことは置いておいて。今日は「病んでいいから死なないでほしい」ということについて書いていこうと思います。

始めに書きますが、ここで書いている「病んだ」とは本当に悩んでいる人の言っている「病んだ」を指しています。本来の日本語とは違う、気分が落ち込むなどの意です。

軽い「え~マジ病んだ~w」というニュアンスとは混同しないようお願いしたいです。それを踏まえたうえで読んで頂けると幸いです。

少し重い話題になってしまいそうですが、私が書きたかったんだから仕方ない。てなわけで、突然ですが皆様は「病んだこと」ってありますか?ストレスが溜まって自己嫌悪が増えて、何も手につかなくなって、でもそんな自分も嫌で、みたいな負のループに入ってしまったときのことを「病んだ」だと私は考えています。

ほぼ、というか病んだという書かれ方がマイルドなだけで病むということは、「病」むという漢字の通り、一種の精神の病気だと思っています。気分が沈んでしまったりするのは鬱に近い状態、または鬱なのだと私は思っています。「自分なんて」と考えがちな人はたまに自傷行為をしてしまっている人もいます。でも、私はそれをするなとは言いませんし、なんならそれで済んでいるだけマシだと考えています。私の身の回りにも、少なからずそういう人はいましたが別に自分の体を傷つけても生きていればいいじゃないですか。私はやったことはありません。だから無責任なことは書けませんが、あれってやっている当の本人が無意識な場合が結構多い気がするんですよね。

やりたくないのに気づいたらやってしまっている。そんな自分がもっと嫌いになるくらいなら、「自分を傷つけること=悪」という考え方を変えてみては?と思うのです。「やるな」と言われても分かってるよって感じでしょう。なら、「やってもいいから死なない程度にね」の方が相手にとっては優しい言葉になるのではないでしょうか。否定ではなく共感や寄り添うような言葉の方が病んでいる人をとどまらせることが出来ると思っています。

ただ、私は自殺だけは許せません。どれだけ現実が嫌になろうが私が認識している、またはこれから認識することになるであろう人物が死んでいくのが許せないのです。私の人生の学びはきっと多くが私の周りの人やネット上で得るものだと思っていて、人が一人死んでしまうというのは私の学びの可能性が一つ無くなることと同じなんです。私はなるべく下らなくてもいいから沢山のことを知って生きていきたいと思っていて、その為にはあなたの存在が必要なんです。的な本当に自分勝手な理由ではありますが、これはいい様に言えば「この世にいらない人なんていない」の究極系だと思います。私は、私の生き方について考えていくと絶対に欠けていい人なんていないんですよ、本当に。

だから、世の中のすべての人には私のために生きていてほしいんです。この説得文句はもしかしたら身近にいる病んでいる人にかける言葉としては意外と有効なこともあるかもしれませんね。相手と自分の関係性が友達だったら自分のために生きてほしいと、言ってみるのもいいかもしれません。重くなりすぎないように気を付ける必要はありますがね。

さて、少し長くなってしまいましたが私の考え方が少しは伝わったでしょうか?もしこれを読んでいる方の身近に病んでしまっている人がいて、話し方に悩んでいたら参考にしていただけると幸いです!難しくはありますが、私は自殺だけは許せません。これから生きていく中でもしかしたら考え方は変わっていくかもしれませんけどね。

明日は職場体験が待ち受けているのでこの辺で!そんじゃ、また!